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キックオフ宣言

2020年6月17日

医療法人富尾会 理事長 桂木正一

令和2年3月31日までの過去1年間の桜が丘病院などを運営する特定医療法人富尾会の業績発表と、今後1年間の業務計画を述べ、今後の事業をさらに発展させる道筋を述べます。

昨年度も皆様の努力とご協力のおかげで黒字とすることができました。心より感謝申し上げます。 富尾会は質の高い、そしてどこにも負けない良心的な医療を行ってまいりました。その上で、黒字の営業実績を得たことは富尾会が今後も事業を継続して地域に貢献できる社会的な信用と資格を得たと評価できます。法人全体の収入、桜が丘病院を中心に、新町メンタルクリニック、訪問看護ステーションなど全ての事業の合計収入は、前年度と比較して増収となり、初めて16億円を超えました。新しく開設した部門も順調です。「新町メンタルクリニック」は平成30年8月に開設し、実績を積み重ねてきました。受診される方々は小学生から高齢の方に至るまで幅広い年齢層にわたり、地域の人々に幅広く受け入れられていると思います。患者数も着実に増えており、昨年度の1日平均受診者数は39.2名に上っており、今年度は40人を超えて黒字転換が見込まれています。令和元年7月に開設した「訪問看護ステーションともに」は、桜が丘病院地域移行推進室と連携し、24時間365日体制で在宅患者支援を行っています。スタッフの努力もあって初年度から事業収益は黒字となりました。以上に加えて医療の質を高めるものとして、リフレクティング研修を実施いたしました。リフレクティングは桜が丘病院の有力な治療技法となることが見込まれています。また、日本を取り巻く自然環境は厳しさを増しています。桜が丘病院は何時如何なる時に、日本のどこでも想定外の災害がおきた時、DPAT(災害派遣精神医療チーム)の先遣隊を派遣することが期待されています。昨年度からスタッフ用ベストなどを調達し、今年度はどこにいても円滑な情報伝達ができる衛星電話を導入予定です。

さて、今後、当法人が更に発展するためには様々な方策があります。新町メンタルクリニックでは、診療体制を一段と拡充することになりました。クリニックが入居している建物の2階、3階部分を借りることができ、精神科ショートケアと精神科訪問看護を開始することとしました。併せて、スタッフの休息スペースも確保できました。大きなトピックとしてお知らせしたいことは、新たに2つ目のクリニックを水前寺に開設することです。すでに、15台の駐車スペースを含む物件の賃貸契約も完了しております。近隣の内科のクリニック等と連携して、働き盛りのうつ病の方々、高齢者の方々の診療を行っていく予定です。当院ではクロザリルを早い段階から使用してきました。現在、入院外来併せて14名の方々に使用しております。今後、適応を慎重に見極めながら症例数を増やしていきたいと考えます。最近の話ですが、ホームページを見た近畿地方の方から問い合わせも来ております。

組織が存続発展するためには、その組織が社会に必要とされるものでなければなりません。そして、その組織に特別に必要とされる能力を一つ上げるとすれば、イレギュラーに適切に対応する能力だと考えます。現在、世界中で新型コロナウイルスの問題が起きています。コロナウイルスの対策は典型的なイレギュラー対応です。我々はこの問題を、組織としても個人個人としても現時点では適切にコントロールしています。とは言え、今後第2波、第3波が押し寄せる可能性があります。姿の見えないウイルスが起こす感染症ですから誰に感染してもおかしくありません。仮に我々の周りに発生した時には、組織としてその方はきちんと守られる必要があります。日本の精神科医療をけん引する国立の精神科病院では「この病院で最も大切な人は患者さんである」という優れたポリシーが掲げられています。しかし、私はこのポリシーにもう少し言葉を追加することが望ましいと考えています。病院では、患者さんと同様にそこに勤める人も大事にされなければなりません。今後、社会にはコロナの影響が色濃く続いていくと思われます。当法人への影響も避けられません。そのような中、桜が丘病院で働く皆様には力を合わせて乗り切って、令和2年度も良好な業績を上げることができますようにご協力をお願いいたします。

令和元年11月発行 エスポアール第26号 特集「桜が丘病院での思い出・取り組み」

2019年11月7日

桜が丘病院 前理事長 堀田 宣之

私は今年6月末を以て、桜が丘病院を退職した。入職したのが平成8年5月だったので、23年間も当院にお世話になった。入職当時の理事長は鹿子木敏範先生で、院長が天津政博先生、他に精神科医師は永山格先生だけだった。当時の当院の状況を振り返ると、空室状況は常に県下の精神科病院では下から2~3番目だった。私は入職当時から、桜が丘病院をうつ病患者のための病院にしようと考えていた。と云うのも、当時、毎月出席していた精神科診療所医会の会議で、クリニックの先生から「最近、うつ病患者が増えてきたが、精神科の病院では入院させられないので、いつも内科の病院に入院させている」という話を聞かされていた。これまで精神科で飯を食ってきた私にとって「この問題は精神科病院が解決しなければならない。」との認識を強く抱いていた。当時の病院の空室は30~40床あり、これを利用すればうつ病病棟がひとつできる、と安易に考えていた節もある。入職後暫くして、病棟改築の話が持ち上がった時、うつ病病棟の新築を提案したが、当時は全病棟が古くなっており、病院全体の改革が必要であるとされた。そこで二人の建築家を含めた将来構想委員会なるものを立ち上げ、毎週1回夜遅くまで論議した。こうして当院の抱える諸問題が浮かび上がり、その解決までに7年の歳月を要した。そして現在の北館が平成15年3月末に竣工した。それから南の旧病棟を使用してうつ病病棟を開設したのが平成15年11月1日であるから、苦節8年にして念願のうつ病病棟ができたのである。

以前から経済界では「選択と集中」という言葉がよく使われていたが、当院に当てはめると、これは「病院の近代化とうつ病病棟化」であった。いつの間にか世の中は、うつ病患者で溢れていた。最終的にうつ病専用病棟が2病棟でき、全病棟の半分近くを占めた。病院も企業だから、日々改革をやっていかないと世の中から取り残される。当院でも各部課でいろんな取り組みがなされたが、その中でもどうやって所謂、「チーム医療」に取り組むかという課題は、喫緊の課題であった。チーム医療を効率よくやるにはどうしたらよいか。その一つの患者情報の共有化を進めるにはどうしたらよいかということで、私としては珍しく1週間も考え込んだ。そして一つの結論を出した。それは、各病棟の朝のカンファレンスに医師を含む全職種が参加する、というものであった。これは午前8時に始まるから、職員は午前7時半頃には病院に到着している必要がある。当初は職員も不満を漏らしていたが、慣れてくれば何ということもない。副次効果として朝夕ともラッシュを避けて通勤でき、却って有難がられている。重要なことは何事も人真似ではなく、自分の頭で考えることが肝要だ。

桜が丘病院では病院業務の他にもいろんなことをやった。赴任以前から継続していたものでは、慢性ヒ素中毒症の調査研究もその一つである。これは熊本大学体質医学研究所時代からやっていたもので、慢性ヒ素中毒症の存在する処には世界中どこでも出掛けて行った。私は慢性ヒ素中毒症の症侯学をやっていたが、最終的には軽症型慢性ヒ素中毒症の発見に繋がった。またこれらに関し在職中に4冊の研究書と写真集を出版できたことも嬉しい限りだった。また趣味の分野では、15歳から続けている山歩きで、写真集「菊池川源流域」を平成16年3月に出版した。当病渓流会諸兄姉の協力に感謝しているが、69歳から初めて丸々7年の歳月を要した。これは菊池川源流域の沢の水の状態調査だったが、日曜祭日の全てをこれに費やした(行動日数は170余日)。

これはまた遊びの部類に入るが、昨年から当院は牛深ハイヤ祭りに参加している。少し長くなるが、その経緯を述べておく。「牛深市は近年の市町村合併で天草市となり、市庁舎が本渡に移ってしまい、以来、街がすっかり寂れてしまった・・云々」。という話を出入りの洋服屋さんに伺った。私は従来、牛深市には特別な感情を抱いている。まだ天草大橋が掛かる以前から、毎年夏には牛深に泳ぎに行き随分お世話になったという思いがある。その頃の牛深の茂串の浜はひとけもなく、潮溜まりでタコを獲って遊んだ。少し外洋にある大島にも行ってその美しさに感激した。また、当院赴任前4年間勤務していた天草病院時代には、夏になると夕刻5時に遊び好きを誘い、西海岸を1時間飛ばし茂串の浜に到着した。生暖かい浜の海水に浸りながら、東シナ海に沈む夕陽を堪能した。ビールを飲みながら眺める夕陽は格別なものであった。そんな牛深に対し私に出来ることは何かないかと考えたとき、答えは決まっていた。牛深ハイヤ祭りに参加することしかない。幸い当院には牛深周出身者が数名おられたので相談してみると、ハイヤは小学校の運動会で毎年踊っていたから基本型ならできるとのこと。早速彼らを講師としてハイヤの練習を始めたら、多くの有志が集まった。20名以上というハイヤ祭りへの参加条件も、優にそれを超える人達が集まった。一昨年7月に練習を始め昨年4月下旬に初参加となった。今年からはサルサのリオ先生にも参加指導頂き、ハイヤ参加者も大いに気を吐いている。

ハイヤ参加者一同

私の恩師である鹿子木敏範先生の後を継いで理事長職を15年間やったことになるが、理事長としての職務上、経営に関しては全くの素人であった。また厄介で面倒な医療経済の分野にはほとんど関心がなかった。これでは理事長としては失格であろうが、けれども日本経済新聞を読めば経済界の状況や事情がよく判る。この新聞を私は当院赴任以前から読んでいる。日本の大新聞にみられるイデオロギー臭が殆どなくて経済界の動向が掴めるので、日経誌を毎日2~3時間読むのが私の病院業務の一つであった。理事長としての私は勝手気儘をやったわけではないが、自分で考え自分の思うままにやらせてもらった。そのことに悔いはないが、一昨年度は大幅な赤字を出してしまい、各方面に随分と心配をおかけしてしまった。しかしながら新町メンタルクリニック開設などの再建策を講じ、昨年は黒字に転じさせ、後顧の憂いなく、桂木正一先生に理事長のバトンをお渡しした。今後引退しても、桜が丘病院とのご縁が切れてしまうわけではない。これまで続けてきた「体力増進の会」は暫くは毎月1回参加する。また、桜が丘病院OB・OG会(桜友会)を昨年4月に結成したので、今後は外部から病院を眺めて意見を具申する院外団としての役割を果たすこともあるだろう。これまで同様宜しくお願い申し上げて、冗長な話を終る。

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